今日瞑想中に気づいたことなんですが、どうやら私は受け入れるという言葉を間違って理解していたのではないかと思います。

普段、多分あまり意識にのぼらない、自分の生き方のベースとしては、「人に受け入れられたい」という願望が強くあると思うのですが、この「受け入れる」という言葉、相手に対するときと自分に対するときの意味するところが違うような気がします。

相手に対するときには、「とにかく自分を全て受け入れてほしい」みたいな感じで全許容を求めながら、自分に対するときには「価値観があう人は受け入れてもいい」みたいな感じで、範囲限定しています。

「我ながらなんて勝手な…」と思いますが、正直なところは本当にこう思っていることに今日気づいたのです。

相手に対しては理想の母親像のような、全てを受け入れる懐の深さがあってほしい…。

…詰まりこれは単なる甘えられる環境がほしいと言うことでは無いかと。

周囲の人に対して「受け入れてほしい」と思いながら、心の底では、「なんで私を甘やかしてくれないの?」と感じていたのでは無いかと。

言葉がいつも同じ意味を持つものであるならば、私も周囲を甘やかさなくては釣り合いが取れないと思うのですが、私は全く周囲を甘やかしてはいません。

というか、「面倒なことはお断り!」とでもいうような気持ちで応対していると思います。

我ながらこれはおかしい事態だと思います。

もし普通の感覚の人が読んでいたら、腹が立つかもしれません。

でも、多分私の本心です。

…これが、認知のゆがみというやつなのでしょうか。過去にカウンセリングで教えてもらった言葉なのですが、その時は納得していなかったのかもしれません。

今なら分かるような…

きっと、こんなことが他にもいっぱいあるんですね。

自分ルールで理解してしまった言葉が他にも…。

追記。久しぶりに書いたらWordPressの使い方を忘れてしまっています。あとでまたなんか直すかもしれません。…というか、この追記の前にスペース開けたかったんですけど、編集画面で改行しても開けられないんですね。エディターが新しいやつに変わってるからなのかな。プレビューめっちゃ遅いし…。